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日本で新年一番早く舞われる神楽舞/蒲原神楽<奉納編>

蒲原神楽(かんばらかぐら)は約240年前の天明二(1782)年頃から、長い年月の消長を経て、五泉市の下大蒲原しもおおかんばらで継承された里神楽であり、市指定の無形民俗文化財です。地域おこし協力隊のきゅうは五泉市に移住して、蒲原神楽が気になりまして、取材に行ってまいりました!

こちらの<奉納編>では、2024年の奉納の様子をお伝えし、別記事の<歴史編>では、蒲原神楽の歴史をお伝えします。


蒲原神楽――日本で新年一番早く舞われる神楽舞

2024年1月14日、五泉市下大蒲原地域の神明神社にて、20名ほどの地域住民が見守る中、蒲原神楽が奉納されました。取材をさせて頂いた蒲原神楽保存会「松久会しょうきゅうかい」の岩野和範かずのり会長によると、以前は元旦に日付が変わったら舞を奉納することから”全国で一番早く舞われる神楽”と言われていたそうです。今年は元旦の夜中ではなく、1月の別日に”初舞はつまい”として奉納されました。

最初は「大神楽だいかぐら」の獅子舞ししまい

踊り手が「よ~!」と言い、獅子頭を被ったとたん、太鼓・三味線・笛の音と共に周りを見回るように動き出しました。獅子は時折幕布を身に被ったり、幕を丸めて手に持ったりしながら、いきいきと動きました。

二人がかりの獅子舞、動きがいきいきしています!
幕を丸めて手に持ち、周りを見回る獅子

最初の方は獅子が可愛らしくも感じられましたが、突如太鼓のテンポが変わり、手拍子に合わせて歌い手が神歌を歌いだすと、雰囲気が一変しました。物語の始まりを感じさせるような歌でした。

アーそもそも神楽の始めにはナー
下にあらゴモ敷やならべー
天に七様の〆を張りてナー
アー伊勢の国渡来郡
伊勢と書かれし二文字はナー
アーあまり長いとお客さんもあきる
まずはここらで悪魔を払うナー

p.6『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)
獅子舞の踊り手は「天照皇大神宮」と書いてある御幣と鈴を持ち、悪を払う動きをしました。

歌の後は人々を引き寄せる口上が続きます。

いや、何とした大神楽、お先に御座るが天照皇大神宮、後成るが春日大明神。
 その後にモックリと高いは言わずば御存じ御座りますまい。
 これは、唐と日本の間に住みかいなす獅子という獣なり。
 まなこは三角皿眼。牙の長さは一尺と八寸。出べその長さが三尺と五寸。金玉の目方が四十と八貫目。
 それはお年寄りの様方においてはお歯黒付。お子様方においては、ホウソウやハシカも軽くなる。
 御家庭に於いては一代の守り本尊いや、そのための口上サヨー

p.6『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)
口上の時、獅子はじっとしていて、体に見立てた幕は高く見せられます。

口上の内容から、悪疫退散のための神楽であることが分かります。話を伺うと、この日は昨年松久会に入会した2名が務めたとのことで、まさに初舞でした。

この蒲原神楽最初の演目「大神楽」をはじめ、約30分間に次の4つの演目が奉納されました。
  ・大神楽(獅子舞)
  ・新保広大寺(手踊り)
  ・剣舞(四方切)
  ・おけさ(全員で舞う最後にやる演目)


その様子をお届けします。

新保広大寺しんぽこうだいじ(手踊り)――和尚の恋物語由来の新潟民謡

「新保広大寺」は新潟県の民謡で、元は十日町市の新保部落にある”広大寺”の和尚の恋物語として語られた話を地元の人々が唄い囃し立てたもので、後に読売りや飴売りなどの手を経て、流行唄として全国に広まりました。津軽じょんがら節や群馬の八木節、北は北海道、南は九州地方でみられる”ハイヤ節”の元唄ともされているようです。

手踊りの新保広大寺

剣舞けんぶ四方切しほうぎり)――悪魔を断ち切る火伏の舞

剣舞は経験豊富な4名が踊り手を務めました。剣と鈴を持って、立ち位置を入れ替えながら、四隅に散ったり、真ん中に集まったりして、一糸乱れぬ動きを披露していました。熟練の舞いの姿がとてもかっこよかったです。歌詞には悪魔を断ち切り、悪疫を退散させ、家内安全を願う言葉が含まれ、「火伏の舞」とも言われています。

まずは鈴をもって、一斉に鈴を鳴らし
真ん中で向き合ったり
四隅で剣を舞ったり

おけさ――最後を締めくくる手踊り

最後の演目は、”柏崎おけさ”が元唄となっている手踊りの”おけさ”。踊り手全員がそろって踊りました。

最後は踊り手全員で踊る”おけさ”

その他の演目――面神楽と玉遊び

現在の蒲原神楽は全部で11演目あり、全演目を上演すると約1時間半かかります。この日は上演されませんでしたが、人気のある演目の解説を引用しました。

面神楽めんかぐら】の解説
 獅子と天狗てんぐのからみで、どこの地方でも見られるものである。
 天狗の面や獅子頭は、同時に刻まれたものと云われ、約200年を経過しているらしい。
 田畑を荒らす獅子を、退散させる天狗の口上とその様は、殺気せまるものがあり、いつの時代にも子供らを怖がらせてきた。

p.9『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)

【玉遊び】の解説
 獅子が悪疫を玉にみたて、民衆に変わり飲みこむ演目である。
 人々を救うこの演目は、大衆が最も喜ぶものであり、玉の替りに手ぬぐいなどを丸め、それを獅子が飲みこむ様は、いかにして当時の民衆が病気治療を願ったかが伝わってくる。
(中略)
 この玉遊びが終わると、誰ともなく獅子頭まで身を乗り出して、頭にかぶせてもらう。これによって病気が治癒するものと祈念した。

p.15『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)
演目が終わり、獅子頭をかぶせてもらう子ども

【お面】ピカピカの2代目!獅子頭と天狗のお面

現在の蒲原神楽で使う獅子頭は実は2代目です。平成7(1995)年4月に新潟県民俗芸能育成推進事業の一環として、老朽化した獅子頭と天狗のお面を村上市の職人の手により新調しました。なお、初代の獅子頭は五泉市村松郷土資料館で展示されています。

p.19『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)

【衣装】花柄じゅばんを見せて、華やかで楽しい

蒲原神楽の衣装について、踊り手は右側の着物のみ脱いで、下に着る花柄の袖の襦袢じゅばんを見せるように着ます。お話を伺ったところ、この着方は昔からの伝統だそうです。他ではなかなか見ない着方で、とても華やかで楽しいです。

花柄のじゅばんがとても華やかです。

蒲原神楽保存会「松久会」

演目の後、蒲原神楽保存会「松久会」の岩野和範会長に話を伺いました。岩野会長は昭和53年、当時の会長鈴木幸男さんの呼びかけにより入会し、蒲原神楽の復活に尽力しました。長年蒲原神楽の振興に携わっています。現在の会員15名の多くは同時期に入会した人ですが、昨年は声掛けにより若手が2名入り、この日は獅子舞の踊り手と、お囃子を担当しました。

昭和53年の復活以来、結婚式など、めでたい席に呼ばれ、舞を披露する機会もあったそうです。現在も月一回の会合で練習を重ね、毎年1月に必ず「初舞」を奉納し、後世に伝えていけるように励んでいるといいます。

神楽を奉納した下大蒲原地域の神明神社
前日の雪がまだ残っていましたが、晴れてよかったです。

歴史編につづく

蒲原神楽の歴史を遡ると、大変面白くて興味深い内容ばかりでした。<歴史編>では、取材の際、岩野会長が提供してくださった大変貴重な資料、『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)などの文献をもとに、蒲原神楽の歴史をご紹介します。<歴史編>も読んでくださると幸いです。

岩野会長をはじめとした松久会会員の皆さん、この度は取材にご協力いただきありがとうございました!

【参考資料】

『村松町史 下巻』(昭和57[1982]年3月発行)
『蒲原神楽 復活二十周年記念誌』(平成9 [1997] 年3月発行)
『郷土再発見!ふるさとの誇り100話』(平成17 [2005] 年3月発行)
『広報 村松 縮刷版第1~3巻』(平成17 [2005] 年12月発行)

(文:地域おこし協力隊 見たい聞きたい知らせ隊 邱子菁)


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